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福岡高等裁判所 昭和36年(ネ)483号 判決

控訴人(被申請人) 日本国有鉄道

被控訴人(申請人) 中山昭 外一名

主文

原判決中被控訴人両名(申請人両名)に関する部分を取消す。

被控訴人両名(申請人両名)の申請はいづれもこれを却下する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人両名(申請人両名)の負担とする。

事実

控訴代理人は、「主文同旨の判決」を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、疏明の提出、援用、認否は

控訴代理人において、別紙記載のとおり述べ…(疎明省略)…た外、原判決事実摘示と同一だから、これをここに引用する。(但し原審原告国鉄労働組合に関する部分を除く)

理由

第一、本案前の抗弁について、

控訴人は本件仮処分の申請は公法上の権利関係に関するものであるから、行政事件訴訟特例法第一〇条第七項により許されない。と主張するが、その理由のないことは原判決がこの点について説示するとおりであるから、これをこゝに引用する。おもうに、日本国有鉄道(以下国鉄という)とその職員との関係を規律する法規を以て、一義的にすべて公法或は私法であると論断することは国鉄の経営する企業の歴史的社会的意義に照し必ずしも正鵠をえたものとはいゝ難い。国鉄のごときいわゆる公共企業体は、一般私人にも許された事業の経営をなすものであるが、その経営はもとより公共の目的のためになさるべきものであるから、この目的を達するに必要な限度においてこれを律するに公法的法規を以てするのはむしろ当然ではあるが、さらばとて、このことにより、国鉄とその職員との関係を全体として本来権力の行使を本体とする一般公務員と同視して之を公法関係なりとする控訴人の主張には賛成し難い。前示のごとき国鉄の公共企業体としての性格と之を律する関係法規全般に照し国鉄とその職員との法律関係を明らかにするより外なく、この見地に立ち右両者の関係を考察するときは、原判決のいうとおり若干の公法的法規により規律せらるゝ分野はあるとしても、なお、一般的には私法関係というに妨げなく、特に右両者間の労働関係を公法上の権利関係と解するのは相当でない。控訴人のこの点の主張は排斥する。

第二、本案について、

(一)  控訴人と被控訴人中山同松野との身分関係並びに被控訴人両名がその主張の日、その主張の理由により、停職三ケ月の懲戒処分に付されたことは当事者間に争がない。

(二)  そこで、本件仮処分の必要性について判断する。

成立に争のない疎甲第八号証に当審における被控訴人両名の本人尋問の各結果によると、被控訴人両名がいづれも控訴人より支給せられる給与のみにより自己並びにその家族の生活を維持しているものであること、被控訴人両名は本件停職処分により、その停職期間中、被控訴人中山にあつては、その支給停職給一月六三〇〇円、被控訴人松野にあつては、一月七二三三円、停職処分により減給せられた額は前者にあつては一月一六七〇三円、後者にあつては一月一九四八三円であるが、右両名とも右減給分相当額は国鉄労働組合犠牲者救済規則により同組合より救済金として支給せられたが、その後原判決により右停職処分の効力を本案判決に至る迄仮りに停止する旨の判決の言渡があつてから、被控訴人両名は控訴人より右減給額相当部分につきそれぞれ追給を受けたこと、現在被控訴人両名はいづれも右停職期間の経過により就労し、停職による減給はなされていないことがそれぞれ疎明せられる。そうすると現在のところ被控訴人両名には、右停職処分によりその生活を維持するに困難となるべき事情は存しないものというべきである。従つて、被控訴人両名が当審において、なお、本件仮処分の必要があるとする理由は、もし、本件仮処分の申請にして却下せられた暁には、控訴人より曩に追給せられた減給分相当額の返還を命ぜらるゝこととなり、前示被控訴人両名の給与より右追給額の返還をなすとすれば、直にその生活に困窮を来すこととなる、というの一点に存するものと思料せられる。ところで、一般に免職又は停職等の処分によりその給与の全額又は一部の支給を停止せられた被処分者において、右停止により生ずる生活費の不足を補うについて、自らの有する資力により出捐しうる場合は勿論、その他の親戚、知友或は他の一般第三者よりの援助、救援により、しかも右援助救援が被処分者の回復し難い著しい損害を伴うことなくしてなされることが確実に期待されるならば、そのいづれの場合を問わず、被処分者につきその従前の地位を保全すべき仮処分の必要性は存しないものであることは明らかであり、右第三者の救援が特に被処分者の属する労働組合からのものであつても右の結論を異にすべき何等の理由もないと考えられる。本件につきこれを見るに、被控訴人両名の主張するごとく本件仮処分申請の却下により、控訴人より被控訴人等に対し、前記追給分の返還を命ぜらるゝところがあるとしても、成立に争のない乙第一三号証と原審証人森秀吉の証言に、被控訴人両名が減給分につき国鉄労働組合より同組合犠牲者救済規則に則り支給せられたことの前記疎明事実を併せ考えると、被控訴人両名の右返還金についても、同組合より右規定に則り救済金として支給せられることが確実に期待できるものであり、且つ、右支給分については本件停職処分の当否が訴訟によつて解決されるまでは之を返済する必要のないものであることが疎明せられ、同組合よりの右支給が被控訴人両名に回復し難い著しき損害を伴うことなくしてなされるものであることは、右救済規定の趣旨に徴し明らかである。そうすると、本件仮処分はその必要性を欠くものと解するのが相当である。

然らば、本件仮処分を必要とする理由については疎明がないこととなり、また、保証を立てさせて右疎明に代えることも相当でないから、本件仮処分申請は、いづれもその余の争点につき判断するまでもなく、その理由ないものとせねばならない。従つて、本件仮処分申請を認容した原判決は失当であつて、本件控訴は理由があるから、民訴法第三八六条により原判決を取消し、被控訴人両名の本件仮処分申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき、同法第八九条、第九三条第一項本文第九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 相島一之 池畑祐治 高次三吉)

(別紙)

第一、本件懲戒処分は公法上の処分であるから仮処分申請は許されない。

原判決は、控訴人とその職員との関係は公労法第八条により職員が組織する労働組合が相当広汎な範囲の事項につき使用者である国鉄と団体交渉をなし、国鉄と対等の立場で勤務関係の具体的な運用基準等を交渉し協約を結ぶことを認めており、且つ、紛争解決の為に調停又は仲裁の制度があり、これらは何れも一般私企業における労使紛争の解決方法として認められている調停、仲裁制度と近似しており、かかる対等の立場における紛争解決の方法をもたず専ら法律または人事院規則の定めるところに一任されている国家公務員とは、その勤務関係において著しい性質上の差異を認めることができるという前提に立ち国鉄と従業員間の労働関係は私法上の関係であるから仮処分に関する民事訴訟法の適用があると判断して、控訴人の国鉄とその職員との関係が公法上のもので行政事件訴訟特例法第十条第七項により本件仮処分申請は許されないという主張を排斥したが、その失当なる点を次に明らかにする。

控訴人日本国有鉄道とその職員との間の法的関係を述べる前に、先ず控訴人の法的性格を述べる。控訴人は日本国有鉄道法(以下国鉄法という。)第一条に規定するように従前純然たる国家行政機関によつて運営せられてきた国有鉄道事業を国から引継ぎ、これを最も能率的に運営発展せしめ、もつて公共の福祉の増進に寄与するという国家目的を与えられ、国家の意思に基いて特に法律により設立せられた法人である。

国家行政機関は権力をもつて国民を統治することがその機能の中核であつて事業の運営はその本来の使命ではない。このため国家行政機関とその職員を規制する法体系と慣行はすべてかかる権力的機能遂行に適するように構成せられていて事業の運営ということには適していない。

国営事業も企業である以上事業の公共性を確保すると共に、その運営の高能率化を計り財政的独立を達成する必要があり、これがため運営方針、予算、会計、人事等の面において一般行政機関とは異なる企業性と自主性を確保するという必要性に基いて控訴人日本国有鉄道を設立したものである。而して控訴人の資本はその全額を政府出資によるもので、このことは資本の国有即ち資本は国民に属することを意味し国民はその資産と運営を控訴人に信託し、控訴人は、受託者として受益者である国民のために、国民に代つて、これを運営管理するもので、その企業の経済的所有は株式会社の如く私人に帰属するものではなく、国民に帰属するものである。このことを公共企業体の公共の所有の理念と一般にいわれ、又この理念から公共企業体は公共の支配の下におかれているといわれている。この公共の支配の表われは国民の直接代表である国会の或いは政府の支配監督の下に置かれているのである。

前述のように国家意思に基き国家目的を達成するために設立せられた控訴人の法的性格は、行政法上のいわゆる公共団体(公法人)たる性格を有するものであることは明らかである。又、このことは国鉄法の各本条に規定せられた控訴人の実体を検討すれば一層明らかとなる。例えば控訴人はその資本を政府の全額出資にまつこと(第五条)、その総裁は内閣が任命すること(第十九条)、予算については国会の審理を必要とすること(第三十九条の二以下)、会計は会計検査院が検査すること(第五十条)、運輸大臣の監督に服すること(第五十二条)等すべて公共団体たる実体の具現であると考えられるが、なおこれに加えるに国鉄法第二条は右のような実体を実定法上宣明し、解釈上の疑義を避ける目的から控訴人を公法上の法人とする旨を明定している。従つて控訴人の法的性格はその公共団体たることは形式上も実質上も疑問の余地がないものである。

次に控訴人と職員との関係を述べるが、その前に憲法第十五条にいう公務員について考察してみるに、同条の公務員とは国家又は公共団体の職務を担当する者をいい、すべて公務員は国民の信託に基き、その職務を行うものであるから全体の奉仕者として国民の利益と幸福のために、国民に労務を提供する義務を負うのが公務員の特質で、この公務員の性格はそれが単純な労務を提供するものであると(国家公務員法第二条参照)はた又その労務を提供する関係が国家たると公共団体たるとによつてその公務員たる性格に変わりはなく、等しく憲法第十五条にいうところの公務員である。然らば公共団体たる日本国有鉄道の職員は正しく憲法第十五条第二項にいうところの全体の奉仕者たる公務員としての法的性格を有するものであることは明らかであり(法学協会編註解日本国憲法上巻三七〇ページ参照)日本国有鉄道とその職員との間の法的性格を理解するには先ず第一に職員がこの公務員たる性格を有することを知らなければならない。

次に或る者を公務員に任命する国家又は公共団体の長の行為が公法上の単独行為であるか、公法上の契約であるかは議論のわかれているところであるが、公務員の前述のように全体の奉仕者である特質より生ずる各種の法律の規制から国家又は公共団体とその職員との関係が公法上の関係である点は学説が一致している。以上のような見解に立脚して国鉄法中職員に関する規定を通覧し、その法律関係を吟味してみると職員の任免は能力の実証に基いて行わるべきこと(第二十七条)、一定の事由のあるときは懲戒の処分を受くべきこと(第三十一条)、職員は職務の遂行については法令及び業務上の規程を誠実に遵守する外その全力を挙げて業務に専念しなければならないこと(第三十二条)等が規定せられ、国家公務員に対する身分服務に関する国家公務員法の規定とほぼ同様の規定がある。ただ国鉄法に職員が全体の奉仕者として勤務すべき旨の規定の存しないのは前述のように控訴人が国民の財産の受託者として受益者である国民のために代つてこれを管理運営するものであるから、控訴人の職務を担任する職員は全体の奉仕者として国民に属する財産を管理運営する地位にあることは敢えて明文を必要とする理由がないからである。このことは国家公務員が政府の下において、国民の信託により国民全体の奉仕者として国政ないし国の企業を遂行する地位にあるのと同じである。而して控訴人の職員も国家公務員も両者は共にその雇用される事実によつて与えられた公共の信託に対し無条件に忠誠の義務を負い、国民はその利益と福祉のため国家の行政又は国の経営する企業或は控訴人の業務が秩序と継続性とをもつて運営されることを要求する権利を有している(国家公務員法第九十八条、公労法第十七条)。国家公務員なり日本国有鉄道職員が国民全体に奉仕する義務を負わされているが、これは最高の義務であつて、その関係は対等の立場に立つ単なる私法上の債権、債務の関係でなく信託、奉仕の関係である。ただ一般の国家公務員と、日本国有鉄道職員やその他の公共企業体職員なり、昭和二十七年労働法の改正によつて、公労法の適用をうけることとなつた国の経営するいわゆる五現業の郵政、林野、印刷、造幣、アルコールの企業に従事する国家公務員との異なる点は前者である一般の国家公務員はその担任する職務が国民の主権を行使するのであるのに反し、後者の公務員の担任する職務は国民の財産の管理運営をなすにある点だけである。この故に国家は国家公務員に対しその優位な地位を確立するために、国家公務員の勤務、身分関係を法律をもつて規定したと同様に、控訴人とその職員との関係を規律するために特に法律をもつて規定し、日本国有鉄道総裁に職員より優位な地位を与えその間の秩序維持を計り、控訴人が国家より与えられた目的を達成せしめようとしたのである(なお昭和二九年九月一五日判決昭和二五年(オ)第三〇九号最高裁判所判例集八巻九号一六〇六ページ参照)、このことは、昭和二十七年公布になつた公務員等の懲戒免除に関する法律(同年四月二十八日法律第百十七号)第二条や、日本国との平和条約の効力発生に伴う国家公務員等の懲戒免除に関する政令(同日政令第百三十号)第一条において、控訴人の職員の懲戒の免除は国家がこれをなす旨を規定し、控訴人の職員の身分関係が国家公務員や、その他弁護士、公証人等が国家と特別権力関係に服するのと同様の性格を有する旨を規定したことによつても明らかである。

ところが原判決は日本国有鉄道職員がその労働条件について、団体交渉権を有することや、その紛争解決のために調停、仲裁の制度のあることの故をもつて職員と控訴人との関係が私法的関係であると判断しているが、その誤りであることは明らかである。即ち、かくの如く解するならば昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛、連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和二十三年七月三十一日政令第二百一号)施行前における国家公務員や地方公務員が、労働三法の適用をうけ、団体交渉権を有し、その紛争について労働委員会に調停を申請することができたことの点や、昭和二十七年の改正で国の経営する企業に従事するいわゆる五現業職員である国家公務員がその労働関係について公共企業体職員と全く同一の取扱いをうけたり(公労法第二条)、地方公共団体の経営する企業に従事する地方公務員が地方公営企業労働関係法の適用をうけることとなり、これらの国家公務員や地方公務員が再び団体交渉権を有し調停、仲裁制度を認められた点を如何に理解すべきであろうか。国家公務員と国家、地方公務員と地方公共団体との各身分関係は団体交渉権を有するか否かによつて或る時は私法上の関係となり、又或る時は公法上の関係となるというような浮動的なものでなく、常にその関係は公法上の関係に立つものである。

国家公務員や公共企業体職員が、国家ないし公共企業体に対し、公法上の特別権力関係に服するからといつて、その勤務条件ないし労働条件について改善を求め政府ないし公共企業体と交渉することができないという法理はなく、むしろかかる交渉の自由を認めるのが近代民主主義社会における公務員の権利というべきである。ただこの権利を労働法上の団体交渉権として労働協約締結権までにこれを認めるか否かは、公務員の職務の種類即ちその提供する労務が主として権力作用を伴う職務に従事するか、或いはこれに関連する職務に従事するものであるか否かによつて差別をつけることは憲法上認められるところであつて、団体交渉権が或る公務員に法律上認められないからといつて、公務員の政府ないし地方公共団体に対し勤務条件について対等の地位において交渉する権利までを否定しさることはできないものである。(国家公務員法第九十八条地方公務員法第五十五条参照)。従つて国家が法律をもつて政府、地方公共団体、公共企業体の当局に対し、国会における国民の代表者によつて制定議決された法律又は予算の範囲内において一定の権限を与え職員の団体と交渉し、その結果意見の合致したときそれが法律又は予算に抵触しない限り書面による協定ないし労働協約を結ぶことを規定したからといつて、このことは何等職員の身分関係が公法上のものであるという観念と相容れないものではない。この理を明らかにしたものが、地方公務員法第五十五条公労法第十六条地方公営企業労働関係法第十条の規定である。

次に国鉄法第二十七条ないし第三十二条の身分服務に関する規定は一般私企業における就業規則ないし従業員規則中にも屡々見られるところであつて、控訴人に限つたものではなく、これらの規定は何等控訴人の職員の身分関係が公法上の関係にあるという証左にならないと論ずる者がある。然し前述のような控訴人とその職員の法的性格に鑑み又その規定の表現形式等よりみてこれらの規定は公共団体たる控訴人の組織に関する規定であつて公法関係たる性質を有するものと解すべきである。仮にこれらの規定に類似するものが一般私企業における就業規則、従業員規則中に屡々見られるとしても、それは法律的には私企業内部の秩序維持のために制定された就業規則であつて、使用者はその作成に当つては必ず労働組合又は労働者を代表する者の意見を聴かなければならないし(労働基準法第九十条)、又この規則は、法令又は労働協約に反することはできない(同法第九十二条)。従つて右の如き私企業における就業規則は、労使双方の合意によるところの労働協約によつて自由に変更改廃のできる性格のものである。ところが国鉄法の前記各条の規定は労働協約をもつても変更できないものであるばかりでなく、日本国有鉄道総裁といえどもこれが変更改廃のできないものであることは勿論で、一般私企業における就業規則、従業員規則と異なる性格のものであることは明らかである。国鉄法の前記各条を国家が法律をもつて特に規定したゆえんは、日本国有鉄道総裁に職員より優位な地位を与えその間の秩序維持を計り、控訴人の国家より与えられた目的を達成せしめようとしたものである。

しかして、日本国有鉄道職員に対して懲戒の権限を有するものは、国鉄法上日本国有鉄道総裁であることは、国鉄法第三十一条によつて明らかである。若しも原判決のように職員の地位が私法的なものであるとすれば、法律上雇入解雇は勿論懲戒をなす権能を有する主体は、法人たる日本国有鉄道そのものであつて総裁はその代表者としてこれを執行するに止まるべきものであることを考えれば、この規定も又職員の地位が公法上のものであるとする控訴人の見解を支持する有力な一資料であるというべきであつて、この場合の総裁は行政庁としての資格を有しその懲戒権の行使は行政行為と観念せらるべきである。

従つて日本国有鉄道総裁が被控訴人両名を国鉄法第三十一条によつて処分した本件懲戒行為は明らかに公法上の行為である。若しも右日本国有鉄道総裁の処分を目して私法上の行為であると原判決のように解するならば、国家がその経営する企業に従事する前記のいわゆる五現業の国家公務員を懲戒処分にした場合の国家の行為についても同様に解せざるをえないであろうが、何人もこの場合の処分を公法上の処分であると解しないものはないであろう。この点からいつても原判決のように団体交渉権を有するから私法上の処分となるというような論理がいかに不合理であるか多言を要せずして明らかのことである。なお、原判決のように解するならば国家がいわゆる五現業国家公務員を公労法十八条によつて免職処分にした場合と日本国有鉄道総裁がその職員を同条によつて免職処分にした場合同一法条に根拠をおく免職処分でありながら、前者は公法上の処分となり、後者は私法上の処分となるという不合理な結果を招来する。その採るべからざることは明白であろう。

第二、被控訴人両名は本件の職場集会に積極的に参加したものである。

この点についての控訴人が原判決の判断を不服とする理由については、控訴人の七月二十日付の準備書面第一で詳細に述べたところであるが、なお次の見地からしても原判決は不当であることが明らかである。

すなわち原判決は理由の第三の(五)において「申請人(被控訴人)両名が本件停職処分をうけてその期間中、被申請人(控訴人)より、いずれも賃金の三分の一を支給されるのみであることは当事者間に争がないところ、成立に争のない乙第十三号証、証人森秀吉の証言及び申請人(被控訴人)中山昭の本人尋問の結果によつて申請人両名は国鉄労働組合犠牲者救済規則により、現在同組合から救済金として減給相当額の金員を支給されていることが認められる」という事実を認定している。

ところが、この事実を認定するにはその前提要件として次の事実の存在を必要とするものである。すなわち右国鉄労働組合犠牲者救済規則によれば、救済金の支給を受けるには被控訴人両名が「組合員として組合機関の決定に基づいて組合活動遂行中、救済しなければならない事態の発生した」という事実の存在である(右救済規則第二条第一項)(乙第十三号証)。

これを本件の事実についていえば、控訴人が七月二十日付の準備書面においても詳細に述べたとおり被控訴人両名が本件の職場集会に、組合の統制とその指揮の下に参加し、この事実に対し控訴人の総裁が被控訴人両名を国鉄法第三十一条により停職三ケ月の懲戒処分に付し、その結果被控訴人両名がいずれも賃金の三分の一のみの支給をうけることとなつた事実である。

被控訴人両名が組合の統制とその指令に従つて行動したことの故に懲戒処分に付せられたからこそ、国鉄労働組合が右救済規則によつて救済金として、懲戒処分による減給相当額の金員の支給をしたもので、原判決認定のように被控訴人両名が組合を裏切りその統制と指令に反して本件職場集会に参加しないで、平常通りの業務につく態勢にあつたとした場合、なお右犠牲者救済規定により組合が被控訴人両名に対し救済金の支給をなすことは、ありえないことであることは敢えて多言を要しないことである。然るに原判決はこの明瞭な事実に対し控訴人両名が職場集会に出席しないという前後相矛盾した誤つた事実を認定したもので、その失当であることは明らかである。 (以上)

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